「共通語としての英語」=「英語的思考」ではない

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リンガ・フランカとして君臨する英語

21世紀に入ってから国際的にいくら中国が台頭してきたといっても、世界の共通語として英語はまだまだ主力です。論文など学問の分野であれ報道分野であれ、世界に向けて発信する情報というのはやはり英語です。今後もリンガ・フランカとしての英語の優位性は当分揺るがないでしょう。

しかし、お互いまたはどちらかが非英語圏の場合、共通語としての英語で行うコミュニケーションにはいくらか注意点もあります。ビジネスにおける異文化対応について述べた書籍の中に、そのことをうまく表している部分があったので抜粋をご紹介します。

ビジネスミーティングが英語をベースとしていようが、英語のネイティブでなければ、日常生活は…それぞれの母国語で考え話されている。英語さえ分かれば世界が分かる気になるが、英語で分からないことの方が世界には多い。…世界の日常は、英語以外の言語で成立している。

「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか (安西洋之/中林鉄太郎 日経BP社, 2011)

世界の大半は非英語ベース

上に引用した点は、異文化コミュニケーションの本質を突いた鋭い指摘です。言語としては100%通じているはずなのに意図が伝わっていない、コミュニケーションを通して関係を深められたと思っていたのに実は大きな溝があったなど、単なる言葉の問題ではない部分で何かがうまくいかないことがあるのは多くの場合このためです。

その原因として、それぞれの土地や文化において英語以外のロジックで日常生活が構築されていることが挙げられると本書では示しています。つまり、文化が違えば物事の考え方や捉え方が変わる=思考プロセスが変わるということです。共通語でしっかりコミュニケーションをとりつつ全く同じものを見ていても、思考プロセスが違うため異なる結論や解釈を導き出してしまうことがあるわけです。

ビジネスにおいては、「現地のお客さんに受け入れられる商品を開発するにはどうすればいいか」を考える際に現地の人々のロジックで物事を見る必要がありますが、これはビジネスに関係なく異文化コミュニケーションすべてに当てはまる視点でもあります。ここで、英語で会話しているにも関わらずロジックが異なるために気まずい状況が生じた一例をご紹介します。

パーティーは何時スタート?

この状況を経験したのは、中華系マレーシア人Kさんインド系オーストラリア人Eさんです。英語に関して言えばオーストラリアはネイティブ、一方マレーシアは非ネイティブ圏という違いがありますが、この二人はどちらも英語で教育を受けており、英語でのコミュニケーションにまったく問題はありません。

Meat and vegetable on BBQ grill

ある週末、30名余りが参加するBBQパーティーがあり、Kさんがオーストラリアから引っ越してきたばかりのEさんを招待しました。Eさんが始まる時間を聞いたところ、Kさんは「5時過ぎぐらいからスタートする予定」と答えました。当日、Eさんはきっちり5時すぎに到着。会場ではちょうどBBQの食材がボチボチ届き始めたところでした。15分ぐらいしてからBBQの炭をおこし、招待された人の大半が集まった6時半前ぐらいから本格的にパーティーが始まりました。

みんながワイワイやっている中で、Eさんは一人浮かない顔をしています。理由を聞くと、「5時過ぎって言われたから時間通り来たのに、何でみんな時間にいい加減なんだ?1時間以上も遅れるなんて!」とあきれていたのです。

それを耳にしたKさんが、「マレーシアではパーティーにみんな時間通り来るわけないって。5時過ぎってのは準備のスタート、みんなはちょうどBBQが焼き上がる頃を狙って到着するんだから(笑)」と軽く返すと、Eさんは「仕事をわざわざ早く終わらせて時間通りに来たんだ。結局6時半から始まるんなら最初からそう言ってくれればいいのに」と余計に気分を害してしまいました。幸い、その後すぐに雰囲気は持ち直してBBQは楽しく終わったのですが、一体何が問題だったのでしょうか?

それは、パーティーが〇時スタート」という情報の背後にあるロジックがお互いに違っていたという点です。

オーストラリア人のEさんは、言われた時間に間に合うように到着するのが当然だと思っていました。一方、マレーシア人のKさんは、スタートする (準備が始まる) 時間を言っておけば後は好きなタイミングで来るだろうと考えていました。言語面ではコミュニケーションに全く問題がなかったにもかかわらず、お互いに相手の文化における日常ではどういう理解になるのかが分かっていなかったため気まずい状況が生まれたのです。

相手のロジックを理解するために

母語による思考プロセスというのは、自分ではなかなか意識しにくいものです。例えば、私たち日本人の場合、まず日本語的思考があった上でそれをベースに英語へと変換して会話する人が大半でしょう。会話の内容に納得したかどうかに関係なく「イエス」と相づちを打ってしまうのも、頻繁に「ソーリー」とやってしまいがちなのも、日本語の「はい」や「すみません」が意味するロジックが根底にあるからです。

一方、英語教育で育つなど英語に深く接する機会が多かった人の中には、英語でコミュニケーションをとる際、会話の展開や目的に対するアプローチの仕方も英語的なロジックになる=英語的思考に切り替えられる人もいます。これは思考だけにとどまらず、顔の表情や目線、ジェスチャーなど非言語的な部分にも表れます。

しかし、前者であろうが後者であろうが、相手の言語におけるロジックを理解しない限り前述の例のような的外れなコミュニケーションになりかねません。この点で重要になるのが、思考プロセスを確認するための質問をすることです。

先ほどの例で言うと、「〇時スタート」と時間を伝えた時に、Eさんが「みんなはその時間に来るのか?」、またはKさんが「準備の時から来てくれるのか?」などと質問していれば誤解は避けられたでしょう。特に“招待する/される”といった文化や習慣が関係してくる行動や、“時間”のように解釈の仕方で理解が大きく変わるものについては、文化や母語の違いからくる思考プロセスやロジックの差を意識して確認することが大切です。

このように、共通語としての英語でコミュニケーションをとる際には、「英語=英語的思考」ではなく、英語を話していたとしても思考プロセスには母語とその文化の影響が強く表れている場合が多いという点を覚えておきましょう。

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