旅を通して見る「水の文化」と「石の文化」

Casting fishing net on the river 異文化コミュニケーション
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アジアは水で、ヨーロッパは石なのだ

これは、旅にまつわるエッセイ集「世界中で迷子になって」(角田光代 著 小学館文庫 2016) の一文です。

この著者のように (特に個人旅行で) 外国を旅した方の多くが感じられることだと思いますが、ぶらりと旅をする際にアジアとヨーロッパでは楽しみ方が根本的に異なります。

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「水」と「石」の違い

アジアを旅していると、あらかじめ予定を立てていてもその通りに進まないことはしょっちゅうあります。しかし同時に、ある種の行き当たりばったり的な偶然から生まれる予想もしなかった経験や様々な人との出会いがあり、それが鮮やかな旅の思い出として残っている経験を持つ方も多いでしょう。

逆にヨーロッパでは、行きたいところや見たいものなど事前に計画したことはそれなりにうまくこなせる反面、どこか予定調和的な旅行の範疇に収まってしまうことも少なくありません。

「水」のアジア

Floating market on the river
by Quang Nguyen Binh on Pixabay

本エッセイの著者は、アジア文化をに例えた上で『水の流れるほうに身をゆだねていれば、景色は勝手に変わってくれる』と述べていますが、実に言い得て妙です。水の流れは渦を巻いたり緩急がついたりと不規則なものの、常に下流へと止まることなく動いています。たとえ受け身であっても、一度水に入ってしまえばその流れによってあちらこちらへ運ばれていくのです。

「水の文化」の特徴の一つとして挙げられているのが、旅の途中に起こる人との出会いです。他の旅行者、客、店や宿の人&その家族、近所の人など、アジア圏を旅していると先々で連鎖的に色々な人との接点ができますし、また少し気が合えば距離も一気に縮まります。

個人的な経験ですが、タイではちょっと現地の人と親しくなると家族の食事に誘われることも少なくありません。誘いを受けると、もう次から次に「今から豚肉のから揚げ作るけど、自慢の一品だから絶対食べてくれ」だの、「田舎から持ってきた自家製の美味いSakeがあるから、とにかく試してみろ」だの止まらなくなります。

そうして大人が盛り上がっている隣では、赤ちゃんが涎を垂らしながらモリモリおやつを食べ、足元にはどこかから来た犬がダラーっと寝そべり、BGMは近所の玄関先から聞こえてくるカラオケの熱唱という混沌とした景色です。でも、そうやって過ごした時間は、ガイドブックに載っている有名なレストランでの経験よりもはるかに濃い記憶となって残るものです。

「石」のヨーロッパ

Back-lane of European city
by MichaelGaida on Pixabay

それに対して、ヨーロッパ文化はのようであるとして『石の上に座っていても、何も動かない。・・・自力で動かなければ、どこにも行き着かないし、景色は何も変わらない』と表現しています。ヨーロッパでよく目にする石造りの建築物は何百年もどっしりと変わらない姿を見せますが、石のような文化圏を旅すると、不安定な要素は少ないものの自分から能動的に動かない限り何も起きないと著者は述べています。

もちろん、アジアにだってアンコールワットのように長期にわたってその姿を保ち続ける石の構造物はありますが、アジアの文化というもの自体が著者の言葉を借りれば『水が流れるようにどんどん・・・新しいものを受け入れ続け、変わることに躊躇がない』というわけです。

人との出会いという点でも、ヨーロッパの場合、行き当たりばったりで人間関係が出来ていくことはあまりありません。アジアのような、知り合ったばかりの人から家族の食事に誘われるという経験はかなり珍しいでしょう。その反面、事前にリサーチをしてしっかりと行きたい場所や見たいものを計画しておけば、想像通りの旅が出来る可能性は高いはずです。

日本はどちらのグループか

日本という国は、意外にも昔から新しいものを取り入れることに積極的です。食文化、芸術、学問など様々な分野において、先人たちは外国から入ってくる新しいものを次々と受け入れてきました。ただ単純に真似をしたり、日本が持っていた伝統を上書きしたりというのではなく、古いものと新しいものをうまく融合させながら独自の文化を育んできたのです。

これまで長い間、日本には急な変化や予定外の出来事を比較的大らかに受け入れる土壌がありました。“お天道様てんとさま次第”という言葉があるように、度々起こる自然災害を含め自分たちでコントロールできないものは仕方がないという、「水の文化」によく見られるような柔軟な受け止め方をしていたと言えるでしょう。

今でも田舎に行けばそうした空気を感じられるところがあります。しかし、日本全体として都市部では人間関係においても生活の流れにおいても、「」より「」の文化にシフトしつつあるような気がしてなりません。

まとめ

旅行者がいわば流されるままに現地の文化を楽しめるアジア文化と、何をしたいのかという目的意識をはっきり持ってこそ十分に味わえるヨーロッパ文化。「水の文化」と「石の文化」というのは、旅というフィルターを通した時、その言葉が持つ印象以上に大きな違いを実感させてくれます。

人によっては、旅はすべて計画通りに進んでくれないと心配だという方もいるでしょうし、逆に細かい予定なんか立てずにその場の流れで気ままな旅をしたいという方もいるでしょう。もちろん旅行というのは自分が好きなように出かければいいとはいえ、このような文化の違いについて少し意識しておくなら、どんな場所に旅行してもうまく楽しむためのヒントが見つかるかもしれません。

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